7月28日 山形県 東大鳥川釣行

 これは釣行記・・・ではない・・・

週末は只見に行くことにしていた、行こう行こうと思いながらずっと天候に邪魔されていた、只見沢とか蒲生川とかでおっとりしたイワナを釣りたいのに・・・。「明日は雨だぞ、どうする?」と、弟から電話が入った。台風6号が27日午前7時頃に三重県南部に上陸した、明日には関東上空で熱帯低気圧に変わりそうだが日本海の前線を刺激して各地で大雨になるとの予報である。何でだよ、今日はこんなに良い天気なのに。 「ちょっと天気を調べてから電話するわ」と言って電話を切った。さて、どうしたものか先ず各地の天気予報と降水確率をくまなく調べた。関東はダメ、福島も近隣の山形も明日にかけてはどこも大雨の予報である。あちこちの降水確率と雨雲の状況を調べていたら大雨予報の山形県に一か所だけ降水確率10%くらいの場所を発見、なんかポツンと一軒家みたいな川だ。 そこは僕のお気に入りの山形県庄内地方を流れる大鳥川だ、明日の降水確率も低いし今日27日の降水情報を調べても雨は降っていないようなので、急遽出張先を東大鳥川に変更した。タキタロウで有名な大鳥池を源にする東大鳥川は随分昔から通いなれた川なのだが数年前の洪水で河原が荒れてしまった事とその修復工事が行われていることもあって少し足が遠のいていた。久しぶりなので少し愉しみでもある。

一夜の宿
東屋のテーブルを借りて晩酌をする。蚊やヒゲナガ達が遊びに来る
一夜の宿
東屋のテーブルを借りて晩酌をする。蚊やヒゲナガ達が遊びに来る

らしくなった僕の車で出かけることにした。今年思い切ってリサイジングした車は、今まで乗っていた車の約6分の1の排気量(軽自動車になったのである)、馬力もトルクも約4分の1・・・これで遠征になんか使えるのだろうか・・。そのあたりのチェックも兼ねての釣行である。 東北道から東北中央道を経由して山形市から山形道に入る、馬力の無い車で高速道路を走るとみるみるガソリンが減っていく(^^;前の車なら、途中1回の給油ですんだが、この車は2回の給油が必要になる、タンクが小さいから当たり前なのだが、人里離れた渓流近くでGSを探すのはとてもしんどいことだ。まあ、車の話はおいおいすることにして、雨の山形道を鶴岡方面に進む。途中、西川ICで山形道を降りて今晩の酒のつまみを仕入れるためにセブンイレブンに立ち寄った。今夜の目的置は「道の駅 月山」、このセブンイレブンが最終のコンビニになる。

い物を済ませて再び山形道に戻った。山形道はこの先、月山ICから湯殿山ICまでの区間が一般国道112号線となっている。いつも東大鳥川へは湯殿山ICから再度山形道に乗り庄内あさひICで降りるのだが、今日は相変わらず雨が降り続いているし、タキタロウ公園まで行ったところで雨宿り出来る場所も無いので、112号線をそのまま進み「道の駅 月山」で仮眠をとることにした。ここには「月山あさひ博物館」が併設されていて、その上の小さな東屋で朝まで雨宿りをさせてもらうことにした。ガスランタンを一基、集虫用にテーブルから離して地面に置き、LEDランタンをテーブルに置く、晩酌するだけならこの程度の灯りで十分だ。ガスランタンに集まるヒゲナガを眺めながら寝酒のバーボンを舐める。「道の駅 月山」は一晩中灯りが点いているので昆虫たちと一緒に昆虫好きな人間も飛来するらしく、遠くに見えるショーウィンドウの周りをが幾つかの人影が徘徊している。ほどなく襲ってきた睡魔に、戦う術もなくシュラフに潜り込んだ。木製のベンチにマットも敷かずに寝るのは結構しんどい、右肩の靭帯を痛めている弟はとうとう堪らずに車へと非難した。車の中は荷物で一杯なのでシートに座ったまま一夜を明かしたそうだ。やはりこのチビ車じゃあ、テン泊以外は無理だわ、晴れてればコットでも開いて野宿も出来るだろうけれど。

タキタロウ館
早朝、小雨の中にひっそりと浮かぶタキタロウ館
タキタロウ館
早朝、小雨の中にひっそりと浮かぶタキタロウ館

時半くらいに目が覚めた、幾分小雨になったようだがまだ雨は降り続けている。遥か彼方でかすかに聞こえる遠雷の響きと耳元のやぶ蚊の羽音がレム睡眠中の脳を交錯していた。ハッキリとした目覚めの感覚も無いまま車のエンジンをかけ国道112号線を北上する。県道44号線出合いのファミリーマートで今日の朝食と昼飯を補充した、いつもの僕らの食料の補充ポイントである。県道44号線の東大鳥川に掛る橋を渡り、県道349号線をひたすら南下する、ファミマからタキタロウ公園までは約20kmだがこの時間が結構もどかしい、荒沢ダム沿いの笹根トンネルの完成を持って、旧荒沢隧道・笹根隧道・大鳥隧道がすべてトンネル化されて安心して走行出来るようになっただけでも相当楽にはなったのだが。6時過ぎに目指すタキタロウ公園に着いた、車を降りて少し外の空気を吸う、山の、しかも早朝の空気は特別に旨い、指先まで酸素が届くのがわかる、身体中の毛細血管に酸素が届き細胞が目を覚ます。まだ雨は止みそうにないが、とりあえず上流に向った。

大鳥川
雨が上がって川面の水が水蒸気になる、ほどなく新しい雲が生まれた
大鳥川
雨が上がって川面の水が水蒸気になる、ほどなく新しい雲が生まれた

岡(そのおか)発電所の所、通称タキタロウ橋から恐るおそる川面を覗くと、いつも通りの透明な流れが見えた「ほらね、俺の予想通りじゃん」と、少しばかり鼻が上を向いた。ここまで300km遥々来た甲斐があるってもんだ。今日は左京渕ダムの上あたりから入渓することにしたて車を上流へと走らせた。途中左岸に合流する猫渕沢から濁りが入っていたが本流の水はあくまで透明である、「きっと山は降ったんだだろうな」と簡単にスルーした。左京渕ダム下の橋で車を停めて川を覗くが濁りはなく川底がはっきりと見え、岸沿いをのんびりと泳ぐイワナなの姿も見えた。「どうだ、完璧じゃないか、もう少し上から入るか」左京渕ダム上の流れを道路脇のススキの隙間から覗くと、水色も水量もいつもと変わらない。「ここから川に降りるか」左京渕ダムから上流の泡滝ダム迄は3.5km程、僕らは2~3分走ったところで車を降りた、早速釣り支度に掛ろうとした時、川を見た弟が大声を上げた「えっ!何これ!」ビックリして弟が見つめている川に目をやると、たった今、下流の澄んだ流れを見て来た僕らの目を疑うようなコーヒー色の濁流が目に入った。

濁流
突然の濁流に言葉がない、一体何がおこったのだろう
濁流
突然の濁流に言葉がない、一体何がおこったのだろう

瞬状況が良く呑み込めなかったが、これじゃ釣りにならない事だけは間違いないのでとにかく車を反転させた。下流に向かいながら左京渕ダムを眺めてみるが全く濁りは入っていない、「一体、何がどうなったんだ?」「途中に取水なんか無いよな」「ある訳ねえべ、取水はおろか、砂防堰堤すらないわ」「だよなあ、なんで上だけ?」左京渕ダム下の橋から流れを見てもやはり濁りは入っていないし、ダムの堰堤から落ちる流れもいつも通り透き通っている。ただ、橋からすぐ下流に右岸から流れ込む大葛城沢からかすかな濁り水が流れ込んで来ていたが本流を濁らすほどでもない。濁流を見てから既に10分は達つが一向に濁りが入る気配も無い、「何なんだ?」「きつねに化されてる?」、更に600m程下り、川が道路に近接する場所で車を停めた。「ここで少しだけ釣ってみるか、濁りが入ってもすぐに上がれるし・・・」、半信半疑で釣りの支度を始めた、小用を済ませた僕より準備を済ませた弟がまたしても「あー!だめだ」と叫ぶ、川を見ると既に濁流と化した流れが水位を増している。なんてこった、これは夢でも狐の仕業でもない、間違いなくたった今濁流がここまで追いついてきたと言う事なのだ。落ち着いて考えれば直ぐ解る事だが、遠くまで来るとついつい色気を出してしまう。ちょっとの間でも竿を出そうなんて考えが釣りの事故を助長させるのだ、諦めが肝心なのだ。

多層民家
三階建ての多層民家「かやぶき屋」は現在は民宿として営業している。手前側の屋根が「兜作り」と呼ばれる
多層民家
三階建ての多層民家「かやぶき屋」は現在は民宿として営業している。手前側の屋根が「兜作り」と呼ばれる

れにしても、一体何事なのだろうと考えてみた、そう、真夜中にレム睡眠中に遠くに聞こえた雷だ、あの時間にずっと上流の以東岳辺りに大雨を降らせたんだな、きっと大鳥池が溢れて泡滝ダムに流れ込んだのに違いない、もしかしたら数日後には減水した泡滝ダムに流されてきたタキタロウが姿を見せるかもしれない。どんな釣行でも学びはある、現地の降水量で判断してはならぬ、流れは遥か上流の稜線に振る雨によって作られるのだ。そんな当たり前の事を再学習して帰路に着く釣りバカ兄弟であった。

った今から釣り用の頭を観光用に挿げ替えることにした、「田麦俣って行ったことないから行ってみねえ」って弟が言うので、国道112号をちょいと寄り道して近年有名になった「兜作り屋根の多層民家」を見に行く。田麦俣地区は、古来より庄内と内陸を結ぶ六十里越街道の中間に位置していて湯殿山・月山への参拝者の宿場町となっていたが、もとより豪雪地帯なので積雪時には2階、3階から出入りするため庄内特有の三層構造の多層民家が発展したそうである。現在は民宿として営業する「かやぶき屋」さんと「旧遠藤家」が並んで現存しているだけになったが、昔は同じ造りの民家が立ち並んでいたようだ。その二軒の多層民家が山形県指定の重要文化財となっている。特に「兜屋根の多層民家」と呼ばれるのは寄棟造りの妻側の屋根の形状が武将の被る兜に似ているからである。

多層民家
こちらは「かやぶき屋」の裏手にある「旧遠藤家住宅」、300円で見学出来る
多層民家
こちらは「かやぶき屋」の裏手にある「旧遠藤家住宅」、300円で見学出来る

りしきる雨の中、この二軒が一望出来る多層民家専用駐車場に車を停め写真を撮らせていただいたのだが、三階建てだけあって流石にデカイ。妻側のダースベーダーのような顔をした兜作りの屋根に、平側の屋根には明かり取りの窓が一つあって、それがまるでターボ車のボンネットにあるエアインテークの様で妙にカッコいい。さて、雨足も強くなって来たのでそろそろ退散しよう、雨に打たれて冷え切った身体を温めるため「道の駅にしかわ」に併設されている「水沢温泉館」でひと風呂浴びていく事にしよう。弟のお気に入りの「水沢温泉」は朝6時から入れるそうで入浴料300円はとにかく安い、まだ9時を過ぎたばかりだが、地元の方がひっきりなしに訪れて来る。さて昨夜からの心身の疲れはすっかりお湯に流したので、隣の「月山銘水館」で地元の野菜を買って帰ろう、今日はじゃがいもと茄子と玉ねぎと紫にんにくを仕入れた。

岩根沢三山神社
岩根沢三山神社の勇壮な山門はお寺のような趣、扁額には「湯殿山」の文字が彫られている
岩根沢三山神社
岩根沢三山神社の勇壮な山門はお寺のような趣、扁額には「湯殿山」の文字が彫られている

りだしたところで「そう言えば近くになんとか三山神社ってあるんだよ、この前会ったおばちゃんが、あそこには凄いものがあるから絶対行ってみて、感動するからって言われたんだ」と弟が言いいだした。どうやらその「凄いもの」が前から気になっているらしいいのだが「凄い物って何よ」と聞くと「いや、それは分かんない、なんか国の重要文化財かなんかになってるらしいから行ってみね?」「行くのは良いけど、一体何があんだよ?」「凄い物!」「だから、凄いものってなんなんだよ?」「感動するやつ!」「・・・」同じやり取りを繰り返しながら国道112号を寒河江方面に向かうと左側に「岩根沢三山神社」の標識があった。「ああ、聞いた事あるなあ、出羽三山のなんちゃらとか・・」「そのまんまじゃねえか」112号線を左折、山道を登るとやがて門前町風の通りの奥に古めかしい山門と石段が見えて来た。道の両側には宿坊らしき建物がが並んでいてるが、ここから月山に向かう登山道があり修験者が出羽三山への修行に向かう入口となっていて昔は門前町として栄ていたようだ。

国指定重要文化財
国指定重要文化財の印、旧日月寺本堂と記されている
国指定重要文化財
国指定重要文化財の印、旧日月寺本堂と記されている

段の左手に駐車場があるのでそこに車を停めた。石段の登り口にあるそれは見事な山門といい、その奥の本殿といい、神社と言うより、どちらかと言えばお寺っぽい造りになっている、山門のすぐ脇の石柱には「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社」と彫られているのだが。出羽三山神社と言えば三山一つ羽黒山にある三社合祭殿が有名だが、「ここは・・・?一体全体なんのこっちゃ?」である。 何やら石段の登り口の勇壮な山門には「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社月山出羽湯殿山三神社(旧日月寺」の名がある、これが正式な社号だそうだが、なるほど「旧日月寺」って事はやっぱり元はお寺なんだね。ちょっと調べてみたら神仏習合の時代、月山神社の別当寺だったそうである、・・となれば明治の神仏判然令(神仏分離)による廃仏毀釈の対象だったのだろうが、何かの理由で寺の建築が廃棄されずに残っているってことだ。そもそも、出羽三山って言うのは修験道の山な訳で世の中が神仏習合だろうが神仏分離だろうが、修験の道は何ら変わることも無く今もなお続いているわけだ。で、この神社は山岳信仰が盛んだった往時の修験道寺院建築の特徴を残しているって事で国指定重要文化財に指定されたわけだ。上の都合でくっつけたり離したり、廃棄までさせといて残っていたから貴重だみたいなの、いつの世も変わらんなあ。現在は出羽三山神社岩根沢社務所として羽黒山の出羽三山神社が管理しているので、「月山神社出羽神社湯殿山神社摂社」と言う訳か、なるほど、出羽三山神社の岩根沢支所みたいなもんか、これで一つ疑問が解消された。

社殿
とにかく大きな社殿、元は日月寺と言うお寺だけあって大きな彫り物細工などが随所に見られる
社殿
とにかく大きな社殿、元は日月寺と言うお寺だけあって大きな彫り物細工などが随所に見られる

て、この修験道寺院建築が、とにかくデカい。寄棟造りの建物の中に仏堂、客殿、座敷、庫裏等が全て納まる複合建築で、その大きさなんと横(桁行)66.9メートル、縦(梁間)22.5m、東北一の木造建築なんだそうな。社務所で500円を納めて、弟が言われたと言う「凄いから・・感動するから・・」ってものを探す。社務所の左手に客殿、座敷、仏堂が並ぶ。かなりの広さの座敷や立派な仏堂に関心はするものの感動とは・・。社務所の右手の庫裏にある大賄部屋には黒光りする板の間に直径3尺、タキタロウ並みの太さの八角柱6本が並んでいてこのうち2本の柱には大きな恵比寿・大黒天の木像が祀られている。ほう、これはなかなかの物である。等身大だそうだが・・?。

恵比寿・大黒
賄部屋には見事な直径3尺の柱が立つ、そのうちの二本に大黒様と恵比寿様が祀られている
恵比寿・大黒
賄部屋には見事な直径3尺の柱が立つ、そのうちの二本に大黒様と恵比寿様が祀られている

は月山神社の別当寺、今は出羽三山神社の社務所なのに、山門にかけられた扁額には「湯殿山」の文字が、実は拝殿の扁額にも「湯殿山」とある。三山の中で湯殿山が一番近いってことはあるものの・・?またしても「なんのこっちゃ?」である。謎は深まるばかりである。でもなかなか面白かった。次回はもう少し時間をかけて見学することにしよう。ところで、弟が聞いたおばさんの「素晴らしいから・・感動するから・・」ってものは一体何だったのだろうか?おそらく、恵比寿様と大黒様のことかしら・・・。いまいち不明だけどなかなか、面白かった。次回はもう少し時間をかけて見学することにしよう。もしかして、今回ハッキリしなかった感動モノが新たに見つかるかもしれないしな。今日は山形道を通らず一般道経由で寒河江から最上川沿いに米沢出る事にした、途中白鷹の鮎茶屋で鮎でも食って帰ろう、途中「道の駅おおえ」「どりいむ農園」「道の駅かわのみなと長井」と道の駅ハシゴして地物野菜を追加補充しながら自宅に戻った。

今回は「釣行記」では無い、ただの「長行記」だ

往復600km、釣りもせず只々疲れたと言うお粗末なお話。

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