もう少し浜通りの川を釣る
今日は午後から近くの温泉に行く約束をしていたので午前中だけでもヤマメと遊んでこよう。釣り道具は先週のまま車に放り込んであるので洗ったシューズとウェーダーを積むだけだ。
家を出て間もなく車のフロントガラスに小さな雨粒が当たった、大雨になることはなかろうと思いながらアクセルを踏む足に力が入る。程なく雨は上がり雲の切れ間に青空も見えてきたが目的地に着くころにはまたもや怪しい空模様になって来た。
ベストの背のポケットに予備のリールとレインウェアを押し込んで準備は出来た。何時になく慎重な自分が可笑しくて腹の奥がひくひく笑った。
今日は前回とは逆パターンで下流側の区間を先に釣ってから上流域に入ることにした。今期三回目(正確には二回目)にして初めて下流域のポイントを釣ることが出来る。土手のニリンソウの群生を踏まぬよう気を付けながら川に降りた。
流れを跨いだ対岸の岸辺に黄色い花を見つけた、遠めにあまりお目に掛からない花なのでよく見てみたらおそらくケマンと言う花の仲間ではないだろうか、本なのかTVなのか情報源は忘れたがお寺の仏像の周りにぶら下がっている金色の藤の花みたいな形のやつを華鬘と言うのだが垂れ下がる花の形が似ているのでケマンと言う名前になったらしい。(よくわからんけど)
因みに家に帰ってからググってみたらどうやら深山黄華鬘(ミヤマキケマン)と言う花らしい、葉っぱがニンジンの葉っぱみたいな形なのでおそらく間違いないと思うのだけれど。(よくわからんけど)
朝ドラの影響かしらんが牧野富太郎にでもなった気分である。今日は花を愛でる余裕もあるし良い釣りになるに違いない。
家を出るのが遅かったので私よりも前に入っている釣り人はいるだろう、確かに河原には真新しい足跡が残っては居るがまあ何とかなるだろう。いつもそう思って釣りをしているので余程乱暴なことさえなければ先行者が有っても其れほど苦になることは無い。
苦になることなど無いはずなのに川を歩く時間が経つにつれてだんだんと心穏やかでは無くなってきた。私の放つフライは川面を穏やかにそれこそ何事も無く下流へと流れて行く、何度となくフライを流して見るものの川の中からは何の反応も起きないのだった。
とうとう一尾のヤマメも手にすることなく退渓場所までたどり着いた、いやはやこんな日もあるものだ、まるで極楽浄土で釣りをしている仏様みたいな気分だ。入渓早々、華鬘の花なんか見つけたからかもしれない、さっさと上流に移動して仕切り直そう。
上流へと移動し何時もの橋の脇から川に降りた、ガイドにフライラインを通し始めた頃からポツリポツリと雨が降って来た。レインウェアをベストのバックポケットから取り出し上から羽織って釣り始めるが結局ここも下流と同様なのか川底を走りまわるチビヤマメの姿もほとんど見えない。
それにしても寒い、先週は初夏の暖かさだったというのに最近の天気は一体全体どうなっているのだろう。冷たい雨のせいで体温も下がり背中がゾクゾクしてくるし、フライを交換する指先まで痺れて来る。これじゃあ水温も上がるまいし今日の釣りはここいらで終わりかと諦めたその時、スーッと雨が上がり天井を覆う木の葉の隙間からうっすらと日が差して来た。レインウェアを脱いでベストのポケットに押し込んで釣りを再開するとそれに合わせたかのようにそれまで沈黙していた川からポツリポツリとヤマメが顔を出し始めた。
相変わらずのチビサイズだけれど釣れないよりは遥かに楽しい。ところがやっと釣りらしくなってきたところでそれを邪魔するようにまた雨が降り出した。レインウェアを引っ張り出すのも面倒でそのまま釣り続けたが雨は大降りになる一方で流石に我慢できずにレインウェアを引っ張り出した。すっかりびしょびしょになって、背中から体の芯までジワーっと冷えて来た。もう体力の限界も近い、このまま続けていたら本当に往生してしまいそうだ。
雨と寒さに集中力が切れかかったころ少し水深のあるポイントが現れた。上流中央から左に分かれる流れが左岸の大岩に当たって出来た深みから倒れた大木に沿って流れを変える。この川には数少ないなかなかの好ポイントを前に「良いサイズの魚を釣りたいなら最初から一番のポイントにフライを落とすんだ」と言う自分の声に左岸の大岩の少し上流にフライを落とした。流れに沿ってフライがカーブした瞬間、お約束のように水面が割れた。
今までのチビヤマメより幾らか力のありそうなヤマメは水面を割って大きく跳ねると倒木の下に潜り込もうとする。私はロッドを水平に保持してフライラインとリーダーにテンションをかけ続けた。諦めたかヤマメは流心に戻ると上流へ下流へと走り回りランディングネットに納まった。久しぶりヤマメとのやり取りに寒さも忘れて楽しんだ。ネットに入ったのは背面が赤みを帯び精悍な顔つきの美しいヤマメだった。
凍り付きそうな冷たい水に手を入れてヤマメを流れに戻すと、ほんの一時忘れかけていた寒さが再び老体に襲い掛かってきた。流石にもう限界だ、フラフラしながら川を出て車に戻り雨の中を自宅へと急いだ。
さあ、早く温泉に行って温まろう。