解禁リベンジの巻
数日前の日曜日にこの川の上流に入った、例年なら可愛いヤマメたちがキラキラ輝く水面を割って綺麗な姿を見せてくれるのだが、この日はまったくと言って良いくらいヤマメからの反応はない。昼になっても気温も上がらず、点々と続く先行者の足跡を追って釣るにはこの小渓流は流石に厳しかった。事実上私の2022年の解禁だったのだが結局、肩を落として帰宅する事になっていた。
ところが、私の日ごろの善行が幸いしてか予定していたゴルフが急遽中止になり、その結果願ってもない平日釣行となったのである。前回入渓したエリアより幾分下流に移動して車を停めた、さすがに平日だけあって私の車以外には入渓者の痕跡はない。思わず口元が緩み、誰も来ないうちにさっさと入渓しようと思う浅ましい思いを抑えながら、「慌てるなよ、ゆっくりでいいぞ」と自分に言い聞かせて普段の数倍の時間をかけて準備をした。
解禁前に制作した7フィート3番の竹竿に新調したフライラインを通した。去年はことごとく竹竿を折り、シーズンの最後はグラファイトロッドの出番になったくらいだ。解禁前に急遽7フィートの2番と3番の竿を間に合わせた。渓谷へと下る道を春の景色を眺めながらのんびりとと進む、今はすたれた幅30センチメートル程の小道が二輪草やカタクリが群生する土手の上に見え隠れする、その廃道の途中に小さな祠が建っている。何かの折に供えたのか日本酒のワンカップが置かれていた、今も何かを思い手を合わせる人がいるのだろう。
三軒ばかりの最終集落を過ぎたところから道路を外れて川へと向かう、二輪草を踏まないよう足元に気を配りながら河原に降りた。フライラインに9フィートのリーダーと7Xのティペットを結んだ、ヤマメのサイズも小さいだろうしフライのチョイスも16~14番くらいだろう。フライラインをルールから引き出しラインのクリーニングを始めたその時、足先一メートル程でヤマメがライズした。「お、居るじゃん」と自分の中の釣り人が目を細めた。
この区間を釣るのはおよそ十年ぶりくらいか、それほど良い釣りをした記憶もなく例年はもう少し上流域が解禁のポイントである。春先この川に来るようになったのは東北大震災で東京電力福島第一原子力発電所の大事故が起き、ホームリバーに立ち入りが出来なくなってからの事。本当なら浪江町を流れる室原川でそれは美しいヤマメのライズと戯れていた筈だが、この川で小さなヤマメと遊ぶのが翌年からの私の解禁となった。
釣れるかどうかよりもヤマメが居るかどうかの方を気にしていた私はこのライズを見てすっかり気を良くして、ライズがあった場所の上流、プールの開きが始まるあたりにフライを流した。先週の釣行時に数匹のマエグロヒメフタオカゲロウのダンが流下するのを見ていた私は、オポッサムのファーのボディにマラードのバンチウイングを付けてブラウンとグリズリーのミックスハックルを巻いたキャッツキルパターンの#14をティペットに結んでいた。
狙った通りの流れから小さなヤマメが飛沫を上げたがフライはむなしく宙を舞った。それは合わせのタイミングと言うよりはヤマメの方がフライを咥え損なった感じ、捕食が上手いヤマメにしてはいささかお粗末ではあるけれど。
落ち込みから流れが左カーブする手前の深みで小さなライズがあった、その上流50センチメートルほどにフライを落とすと小さな飛沫が上がったがやはりフライは弾かれて宙を舞う。もしかしたらヤマメのサイズにしてフライが大きいのかもしれない、サイズと言うよりも2Xワイドのゲイプ幅が広すぎるのかもしれない。
フライを替えようと思ったところで、上の段の流れが私の目に留まった、左からの落ち込みが深い流れを形成しその流れが右側の岸壁に遮られその下流にできた石の壁に沿って180度にUターンし壁の端から直角に曲がって落ちるという何とも垂涎のポイントだ。
この深みには越年した良型のヤマメが潜んでいるに違いない、そう信じてフライを流すものの何の反応もなく、落ち込みの肩の石のすぐ脇にフライを通したときに勢いよくヤマメが出た。
「お前はイワナか?」私の中の釣り人が呟いた。小さいけれど艶やかでパーマークが揃った何とも美しい魚体だ。これこそ春のヤマメだ。
リリースしてスタンダードフックの16番に巻いたアダムスをティペットに結んだ、春先のたたき上がりにずば抜けた力を発揮するフライである。
ポイントと思われる場所にフライを流すと必ずと言っていいほどヤマメは顔を出した。スタンダードフックのアダムスはヤマメに蹴られることもなく次々とネットに収まった。成魚放流と思われるヤマメが一尾釣れた以外はどれとっても艶やかで美しいヤマメだった。
退渓場所を間近にラインを伸ばしていると、何か人の声のようなものが聞こえた気がして振り向いても誰もいない。「え、何?」と私の中の臆病者が声を上げる。「すみませ~ん!」と右岸の土手を滑り落ちてきたのは漁業監視員のおじさんだった。
「あ~!びっくりした」今度は本物の私が呟いた。
「すみません、いや、釣れたかどうか聞きたくって」と仰るので「平日だからか、随分良い釣りが出来ましたよ、サイズはいまいちでしたけど」と答えた。「それは良かった、解禁前ここに30kg成魚放流したんですよ」なるほど、それらしいのは一尾しか釣れなかったけれど稚魚放流の魚が多く残っているのは嬉しいものだ。
「先週も来て※だっパイ、上の車だっパイ、日曜日上流の橋の所の所に停めてだっパイ」その通りでございます。
「こんなに来るんなら年券かった方が良いんじゃねの」って言われましたが残念ながら雪代が引く頃にはいろんな川に行かなきゃならないものでごめんなさい。
漁協の話やら世間話やらをしている間にすっかり釣りのモチベーションが下がったのでそのまま川を出て帰路に着いたのである。
※お前、福島県それもいわきの出身だな!語尾にパイが付くのはいわきの人間だ。-ケンミン刑事-